お届けしたむつごろうむつみ新聞211号はお読みいただけましたでしょうか?210号で書ききれなかった家康公と頼朝のつながりについてお話します。
ハヤシソン!という番組で「徳川家が清和源氏だという系図」が映し出されました。徳川家が征夷大将軍になるためには清和源氏とのつながりが必要でした。系図では家康公をさかのぼっていくと源義家につながります。番組では取り上げていなかったのですが、この系図は吉良家から手に入れたと聞いたことがあります。この義家の息子の義親は、源頼朝につながるので(系図が吉良家から手に入れたものでなければ)、家康公と頼朝にはご先祖さまが一緒というつながりがあるのです。
源頼朝の生誕の地は熱田神宮の近くにあります。頼朝の祖父(母方)が熱田神宮の長官だったからです。頼朝の母の兄は、仏門に入り瀧山寺にいました。瀧山寺は、徳川家康公が生まれた岡崎城の北東にあり、岡崎城の鬼門を護っているお寺でもあります。頼朝のいとこの寛伝が瀧山寺の住職だった時、頼朝を弔うために聖観音を制作し、その胎内に頼朝の顎髭(又は鬢の落毛)と歯を胎内に納めました。本当に血のつながりがなかったとしても、頼朝は家康公を守っていたかもしれません。瀧山寺の階段は雲母(うんも)を含んだ花崗岩からできていて、キラキラ輝いています。忠臣蔵で有名な吉良上野介の「きら」氏は、雲母(きらら)に由来する吉良(愛知県西尾市)に住んだ足利氏だったから吉良になったそうです。赤穂浪士の討ち入りの前日、12月13日はすす払いの日でした。吉良邸を監視するために赤穂浪士はすす竹売りに変装してしていたそうで、『義士四十七図 大高源吾忠雄』という絵にその姿が描かれています。「決算!忠臣蔵」という映画を観たところ、210号に書いた熊野牛王の誓約書がでてきました。よろしかったら映画を観てみてください。
むつごろうむつみ新聞211号では赤穂浪士が変装していたすす竹売りが関係する「すす」から習字の墨が作られているお話をしています。