戦国大名総選挙|テレビ朝日
爆笑問題、ウエンツ瑛士MCの戦国大名総選挙・・12月28日(月)生放送に、徳川家康公の秘伝の漢方薬を作るシーンで出演させて頂きました。
八之字
はじめに
江戸時代で75歳まで健康で長生きをし、子沢山に恵まれた家康公の秘訣は、鷹狩りで足腰を鍛え、麦飯を良く噛んで歯を鍛え、秘伝の漢方薬をのんでいたこと。
その秘伝の漢方薬の1つが八之(はちの)字(じ)なのです。八之字は中国、宋の八代皇帝「徽宗(きそう)」がまとめた太平恵民和剤局方という医学書にでてくる無比山薬円と同じものです。日本の漢方医、三宅意安が著書、延寿和方彙函のなかで「八之字」と命名しました。また、無比山薬圓(=八之字)は、漢時代の医学書、金匱要略の中の八味地黄丸を参考にして作られました。
八味地黄丸は、腰痛、前立腺肥大、高血圧症、低血圧症、老人性白内障、糖尿病、貧血、夜尿症、疲労倦怠、精力減退、動脈硬化症、脳梗塞、脳血管障害の後遺症、腎炎、腎臓結石、頻尿、等等、ご年配の方には、力強い味方なのです。よく「老化は、足から始まる」とよく言われます。この事を東洋医学では、「腎虚(じんきょ)」といっています。腎とは腎臓のことですが、生殖機能や、腰から下の機能も含まれます。ですから、腎炎や前立腺肥大、腰、膝の痛みも腎虚になるわけです。虚とは、空っぽという意味です。何が空っぽなのか?それは元気、気力です。親から頂いた「先天の気」と、空気や食べ物から取り入れた「後天の気」が腎にたまって生きるエネルギーとなるのです。よって長生きの秘訣は腎を強くすることです。家康公はこの東洋学的な考えをいち早く情報収集して尚且つ実践した方なのです。
八之字の製造
成分;乾地(かんじ)黄(おう)、山茱萸(さんしゅゆ)、山薬(さんやく)、沢瀉(たくしゃ)、茯苓(ぶくりょう)、五味子(ごみし)、肉縦容(にくじゅうよう)、杜仲(とちゅう)、兎絲子(としし)、赤石脂(しゃくせきし)、巴戟天(はげきてん)、牛膝(ごしつ)
私の仕事場は、家康公のお城、駿府城の外堀の角に位置していて駿府薬草園があった場所である。偉大な経世家である家康公が製造した漢方薬を作れるとは夢にも思わぬことであった。なるべくその時代に即した製造過程を求められた為、十二種類の成分をすべて薬研にて末とした。正味十時間、薬研の作業は、手の平にマメができるほどの大変さがあった。
八之字の作り方は、下拵えとして胃にもたれやすい成分はお酒(乾地黄、沢瀉、肉縦容、兎絲子)や、酒と生姜汁半々(杜仲)で四十八時間浸し、その後、「沢瀉はあぶり(焙)、杜仲はいる(炒)」とあるが、両方とも焙烙(ほうろく)にて炒って表面を乾かし、残りのものとともに二十四時間自然乾燥させた。他の生薬とも薬研で粉末していく。全てが粉末に仕上がったのは約十時間、手の平が鈍く痛んだ。その後乳鉢で撹拌し、約八時間湯湯煎で濃縮させた蜂蜜(煉蜜)を、少しずつ混ぜていく。最後はそばをこねるように手で練り上げる。そこからゴルフボール大に小分けして、丸薬製造機に入れ、球同士がくっ付かないように注意しながら丸くしていく。丸薬製造機は日本漢方協会にお借りした手作りの貴重なもの。この後は乾燥させて出来上がりとなる。
製造に当たっては、全体量の設定に悩んだ。家康公は果たしてどれ位の量を一回で作っていたのか。最終的には、三宅意安が延寿和方彙函の量を参考にして、一両(=十匁)37.5gで計算し全量862.5となった。丁度手毬の大きさである。また、それぞれの生薬が薬研からこぼれない、ほど良い量である。
家康公は、胃腸が弱かったと聞く。「鳥犀圓」や「萬病圓」が繁用処方であったのもその理由で、『和剤局方』中の腎気丸類での製造を「八味圓」よりも「八之字」に絞ったのは、「積聚を破り胃腸を厚くし」を考えたのであろう。麦飯と、鷹狩りで足腰を強化していた家康公はそれほど腎虚の証は無く、また、温かい静岡では冷えから来る痛みを除く桂枝、附子や、炎症をのぞく牡丹皮を考えなくても良かったのではないかと考察する。話は少し脱線するが、食養生の考えに「身土不治」という言葉がある。育った所で出来る食べ物をとると病気になりにくいという意味なのだが、漢方の世界でも同じことが言える。例えば「三島柴胡」で知られる柴胡の最適地は静岡であるが、その理由として少陽病の熱状の如き、温かい海風と寒い富士山の吹き降ろしの冷気がぶつかり合う場所によく育つ。静岡人の性格も、少陽病の治病原則の如き和解的である。私たちの薬草園でも数年前一面柴胡の花で覆われるほどよく育ったことを思い出す。静岡では柴胡剤がよく効くのはその理由であろうか。もし家康公が、江戸に残っていれば八つ目の薬箪笥には「八味圓」が入っていたかもしれない。
八之字の効能
和剤局方の中に、出てくる無比山薬圓(=八之字)は、次のように書かれている。
丈夫の諸虚百(ひ損、五労七傷にて頭痛目眩、手足逆冷、或は煩熱時有り、或は冷痺骨疼、腰髖随わず、飲食多しと雖も、肌肉を生ぜず、或は食少なくして脹満し、体は光沢無く、陽気衰絶、陰気行らざるを治す。此の薬は能く経脈を補いて、陰陽を起こし、魂魄を安じ三焦を開き、積聚を破り胃腸を厚くし、筋を強くし骨を練り、身を軽くし目を明らかにし、風を除き冷を去る、治せざる所なし。之を服して七日の後、人をして身を軽健にし、肢体潤沢、唇口赤く、手足緩やかに、面に光悦ありて、食を消し、身体安和、音声清響ならしむ。是其の験なり。十日の後、肌肉長ず。此の薬は中を通り脳に入り、鼻必ず酸疼す、怪しむこと勿れ。」
駿府薬草園の生薬
阿部正信著、「駿國雜志」によると、家康公は静岡市内に「御藥園」を二箇所もっていた。其の一つが、駿府城外堀付近で、一つが久能山下とある。まず駿府城付近では、住所が安倍郡北安東村(俗に明屋敷村と云う)にあり、初瀨山長谷寺の隣にあり、約四千三百七十三坪で四方に熊笹生垣があり大場久四郎が地守をしていたとある。此の園中に産する所の藥種は、
安倍郡北安東村「御藥園」
使君子(唐船持渡)、草菓(唐船持渡 福建)、草豆冠(唐船持渡 福建)、延胡索(朝鮮)、貝母(唐船持渡)、附子(奥州津輕)、甘草(甲州)、黄芩(朝鮮)、呉茱萸(唐船持渡)、肉桂(唐船持渡)、烏藥(唐船持渡)、ほんほろもんすう(阿蘭陀)、山茱萸(朝鮮種子)、和木香(江戸)、補骨脂(唐船持渡)、白朮(唐船持渡)、蒼朮(唐船持渡)、ほろごがる(長崎種實生)、枳殻(薩摩)、砂糖黍、大靑(浙江)、霍香(薩摩)、藁木(小石川御藥園出)、
烏藥(唐船持渡 揚州)、枳樹(唐船持渡)、無夷樹(唐船持渡)、大靑(江南)、唐芋(大村河内守献上種子)、馬兜鈴、和呉茱萸、零餘子人参、薄荷、天門冬、地黄、縮砂、蓮、
當歸、巴戟天、苦参、和防風、苧麻、黄蜀葵、黄連、川芎、知母、三菱、柴胡、細辛、杜衡、蘿勤、龍膽、草烏頭、白芷、蘿摩、商陸(やまごほう)、茴香、眞升麻、丸葉升麻、唐大黄、山査子、鳥臼木、和黄檗、山梔子、金櫻子、辛夷、桑、合歡、杜中、槐、厚朴、大棗、黄耆、唐出茯苓、三七、眞五味子、唐覆盆子、大葉麥門冬、升麻、三慈姑、白山芍藥
赤山芍藥、百合、蘭、五葉覆、續斷、冬葵、大葉車前、續隋子、蒼耳(おなもみ)、紅草
天南星、菎麻子、半夏、茜草、射干、芭蕉、白前、白大戟、唐防已、甘遂、和麻黄、地楡
唐酸棗、蔓荊、かわりん(・櫨)、唐胡桃、海松、油桐、楮、馬鞭草、羊乳根、前胡、澤瀉
へんるうた、木瓜
有渡郡久能御山下「御藥園」
坪数凡東西三十間、南北二十間で門は北向き。御目代中島俊藏信省の預る所とされていたとある。此の園中に産する所の藥種は、
使君子(唐船持渡)、貝母(唐船持渡)、延胡索(朝鮮渡竹葉)、黄芩(朝鮮渡竹葉)、甘草(甲州)、白朮(唐船持渡)、蒼朮(唐船持渡)、藁木、薄荷、烏藥、大靑種子、肉桂唐船持渡、山茱萸(朝鮮)、枳殻(薩摩)、呉茱萸(唐船)、蓮、芍薬(白紅)、佛手柑、茴香、眞五味子、地黄、續隋子、蒼耳、補骨脂種子、砂糖黍、龍膽、苦参、苧麻、黄蜀葵、ほんほろもんすう、馬兜鈴、大葉車前、三七、升麻、唐覆盆子、和木香、霍香、天門冬、麥門冬、零餘子、人参、紫苑、桔梗、山梔子、菎麻子、細辛、常山、大黄、當皈
八之字の十二成分中七成分が、この薬草園で育てられている。それ以外のもので山薬は地元の特産品で質の良いものが豊富にあり、肉縦容は、富士山麓に今でも天然のものが手に入る。赤石脂は生活の一部として普通にあるものであるから、兎絲子と、牛膝だけが定かではない。両薬草園合わせて五千坪(一丁八反)の薬草園で、是だけの薬草の種類だと単品での収穫量が限られる。当薬局の薬草園でも最高で六反近くまで広げたことがあったが、煎じ薬での使用量と連作障害を考えると、せいぜい三種類が限度であった。丸薬の製造に置いては単品での生薬の使用量が少なくて済むのでこれだけの種類が育てられたのであろう。ただ是だけの生薬に包まれて仕事が出来るのは羨ましい限りである。
まとめ
この八之字は、晩年家康公の老化防止の保健薬として使われていた理由として肺に、足腰に、高血圧に、明目(目を良くする)に、胃腸に、頻尿に、膝の痛みにと、五藏六府を守っているバランスのよい漢方薬。そして、家康はこの自家製の漢方薬を家臣にも飲ませていたと聞いている。自分の弱点を知ることが名将の秘訣であるならば、家康公は自分の身体の弱点も良く知っていた。また、医学的にも人の身体のメカニズムもよく勉強していた。しかしそれだけではなく、難解の医学書を読破し、自ら漢方薬を作り上げるといったあくなき探究心。漢方研究家、家康公に学んだことははかり知れない。
(参考文献)
漢方フロンティア 田畑隆一郎著 源草社
よくわかる金匱要略 田畑隆一郎著 源草社
漢方サインポスト 田畑隆一郎著 源草社
漢方 第三の医学 田畑隆一郎著 源草社
「駿國雜志」 阿部正信著
徳川家康と「八之字薬」 宗田一
長寿将軍徳川家康の座右薬を復元する 山崎光夫
訓註 和剤局方 陳師文 吉冨兵衛 緑書房
傷寒論の薬物の分量について 桑木崇秀